【年表】ギュスターヴ編全史

ギュスターヴ編に関する歴史について、ギュスターヴの父親であるギュスターヴ12世の誕生から、ヴァンアーブルの死去までの120年間についてまとめました。

ギュスターヴ編に関する人物の出生・死亡や歴史的な出来事などを時系列で追いたい時にご覧ください。

 

ギュスターヴ編の主な出来事を確認する場合は、こちらの記事に要約したものをまとめています。

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1195年 ギュスターヴ12世誕生

父ギュスターヴ11世、母ルイズの嫡男として誕生。

1196年 シルマール誕生

父ウィルファルド、母ジュリオとの間に生まれる。

1199年 ムートン誕生

ワイド候政治顧問の父タレラン、母エレオとの間に生まれる。

1200年 ソフィー誕生

父ノール候ナヴァル、母カトリーヌの長女として生まれる。

1201年 大森林の攻防

ノール候ナヴァルはノール候領への侵攻をはかったオート軍を撃退。

1201年 ラブレ砦攻防戦

シュッド軍がオート軍のノール侵攻に呼応してフィニー領内に侵攻。

1202年 12世、ファイアブランドの儀式に成功

ギュスターヴ12世が、王家の権威付けのための通過儀礼「ファイアブランドの儀式」に成功。

1205年 ネーベルスタン誕生

ナ連邦に属さない南大陸北部の自治領名将のストーレ、母カサリンの嫡子として誕生。

1207年 シルマール、ルナストスに師事

当時、至高の術士と謡われたルナストスは、店先から感じる強力なアニマを「良質のクヴェル」と思いシルマールの父ウィルファルドの店を訪れた。しかしその強力なアニマがシルマールのものだとわかると、シルマールに対し術士になる道を勧める。

1210年 ティベリウスの戦い

フィニー軍がシュッド軍と激突。ギュスターヴ12世が初陣で多大な戦果をあげる。フィニーが旧領ティベリウスを奪還する。

1211年 ソフィー、ナ国へ

行儀見習いのためナ国宮廷へ。

1212年 サン・ジャブイーユ会戦

ギュスターヴ12世率いるフィニー軍がサン・ジャブイーユのシュッド勢力を一掃。

1213年 ネーベルスタン、留学

ネーベルスタンがグリューゲルへ留学。

1214年 シルマール、ソフィーと出会う

不能者の老人に優しく声をかけるソフィーを見かけたシルマールは、からかい半分で接触。シルマールはソフィーの考え方に触れるうちに、自分自身のおごりや慢心を恥と思うようになる。

1215年 ギュスターヴ12世、実権を握る

ギュスターヴ11世は、息子に軍の実権を譲る。

1216年 ソフィー、ノールへ帰還

ソフィーの美しさに惹かれていたスイ王は、半ば強引にソフィーを後宮に上げようと画策。それを察知したシルマールの計らいで、無事ノールに帰還。

1218年 アルヌークの戦い

フィニー王国と同盟関係にあったノール領にオート候が大軍で侵攻。フィニー王国の援軍間に合わず、ノール候ナヴァルが戦死。その後、ナヴァル唯一の子、ソフィーがノール領主に。

1218年 ブリュイエールの反乱

シュッド派のブリュイエールがノールの覇権を巡り乱を起こす。シュッドの動きを牽制してフィニー軍がノールへ出兵。

1218年 12世、バース候に即位

ギュスターヴ11世が退位し、12世がバース候に即位。

1218年 ノール候女ソフィーと結婚

ノール領内の内紛を抑えるため、ソフィーはギュスターヴ12世との結婚に踏み切る。

ノール領はフィニー王国の軍事力によって平定。ノール候自身が嫁いだことで、実質的にノールはフィニー王国の属領に。

1219年 ギュスターヴ11世死去

シュッド川でフィニー軍とシュッド軍が激突。ブリュイエールの策謀により11世が戦死。

1220年 マクニール平原の戦い、ギュスターヴ13世誕生

フィニー王国が事実上ノールを支配下に置いたことに危機感を抱いたオート候アッバースが、ノール領に向け出兵。ノール国境付近に展開したオート軍に呼応し12世出陣、オート軍を撃破。13世誕生の報を受けたギュスターヴ12世は、オート軍の追撃を取りやめ、帰還。

1221年 ケルヴィン誕生

ヤーデ伯トマス卿、母メアリの一男として生まれる。

1221年 レスリー誕生

ベーリング家の次女として生まれる。

1222年 フィリップ誕生

ギュスターヴ12世とソフィーの第2子が誕生。

1222年 フリン誕生

貧民街で生まれる。

1223年 シルマールがテルムに

ギュスターヴ13世の教育係として、シルマールがテルムへ招かれる。ギュスターヴ13世は、シルマールからアニマ学を学び始める。

1223年 ネーベルスタン、旅へ

優秀な成績でグリューゲルでの勉学を終え、冒険の旅へ出る。

1227年 マリー誕生

ギュスターヴ12世とソフィーの第3子が誕生。

1227年 ギュスターヴ13世追放

ギュスターヴ13世は、ファイアブランドの儀式に失敗し、術不能者であることが判明。

民衆の動揺や貴族の反発を抑えるため、ギュスターヴ12世は13世を母ソフィーとともに貧民街へ追放。

13世とソフィーはシルマールの助言に従い、術不能者への差別が少ない南大陸グリューゲルに亡命。ナのスイ王に屋敷を与えられる。

ソフィー追放にノール諸侯が反発するも、ギュスターヴ12世はソフィーとの婚姻関係を解消せず、さらにフィリップをノール領主とすることを約束することで懐柔を図る。

一方で、王家でアニマのない人間が生まれたことは王家の正当性を揺るがす結果を招きかねないことから、自国内の内紛を防ぐためにも、「13世は不義の子である」と発表し、自身の子ではないと言い張る。

1227年 ギュスターヴ12世、側室を迎える

ギュスターヴ12世が、首都テルムの水源モート川領域を治めるシュッド候弟ベルナット伯の懐柔のため、ベルナット伯の息女マリアを側室に迎える。

1228年 ギュスターヴ13世、フリンとレスリーに出会う

グリューゲルへ亡命してきたギュスターヴとフリン、レスリーが出会う。

1228年 ギュスターヴ14世誕生

ギュスターヴ14世が、12世とマリアの嫡男として生まれる。

1228年 将軍の想い出

ネーベルスタンはグリューゲルからフォーゲラングまでの単独行を行う。フォーゲラングでシルマールとナルセスと出会う。その縁でシルマールに師事し、術を学ぶとともに人間についての洞察を深めていく。

1229年 シュッド候弟、フィニー王国配下に

シュッド候弟ベルナット伯がフィニー王国旗下となったことで、モート川領域がフィニー王国に編入

1229年 カンタール誕生

父オート候アッバース、母ノール候ナヴァル息女アマーリアの嫡男として誕生。

1231年 ラエ村脱出行

再度旅に出たネーベルスタンは、ロードレスランド辺境にあるラエ村がモンスターの群れに襲撃されているところへ行きあわせる。ネーベルスタンはモンスターをなぎ倒すと、村人を引き連れ村を脱出。戦える若者を集めてモンスターを食い止めながらヴェスティアまで避難させる。

1232年 荒んだ少年時代

不能者であり、追放されたものであるという境遇が、成長するに従ってギュスターヴ13世の心をねじ曲げていった。また、元王族という特殊な境遇から同世代の者から敬遠されていた彼は荒んだ少年時代を送っていた。

草花や動物に憂さ晴らしをするところをソフィーに見つかり、人としての尊厳を持つよう諭され、フリンに八つ当たりするところをレスリーに見つかり静止される。

1233年 ギュスターヴ13世、ヤーデに移住

ナ国のスイ王は、ソフィー母子に対し、ヤーデ郊外の村、ファウエンハイムに名目上の領地を与える。これを機に、ソフィー母子はヤーデへ移住。フリンもこれについていく。ギュスターヴ13世は、移住先で製鉄技術と出会い、鉄剣制作を開始。

ヤーデ伯嫡男のケルヴィンが13世と出会う。

1233年 ネーベルスタン、ワイドへ

引退した父の推挙によりワイド候に仕え、近衛隊騎士団長に。

1235年 ギュスターヴ13世、鋼の剣を作成

ギュスターヴ13世が試作品となる鋼の剣を完成させる。腕試しに洞窟へ行った13世は、野盗と遭遇。一時はフリンをさらわれるも、ケルヴィンと協力して野盗を討伐。

1235年 ギュスターヴ14世、ファイアブランドの儀式に成功

14世がファイアブランドの儀式に成功。その夜、母マリアが何者かに暗殺される。

1235年 レスリー、ヤーデ伯家へ

礼儀作法の修行のためヤーデ伯家へ。

1235年 ネーベルスタン、将軍に

ネーベルスタンが近衛部隊長、海軍提督を歴任後、軍事面の総司令官である将軍に就任した。

1236年 再会

ヤーデ伯トマス卿が主催するパーティで、ギュスターヴ13世がレスリーと再会。

1238年 疫病流行

ソフィーが流行病にかかり倒れる。

1239年 ソフィー没

レスリーがソフィーを看護するも、流行病により死去。39歳。ノール候を13世の弟フィリップが継承。これに反発したノールの旧体制派が反乱するも、フィニー軍により鎮圧。

1240年 ギュスターヴ13世、ワイド奪取

ギュスターヴ13世がワイドを占領しようと画策。

ワイドは、ナ国と貿易の利権をめぐって対立しており、軍事力によって半独立状態にあったことから、ナ国としてもワイドの増長を抑える必要があったため、ナ国家臣であったヤーデ伯の協力を得ることに成功。

レスリーとフリンにワイドでの諜報活動を命じ、自身はワイド候に取り入る。側近たちを遠ざけると、宮殿内の秘密通路を使ってヤーデ軍を突入させ、ワイドを占領した。

その後、製鉄工場を導入。

1241年 ワイドに鋼鉄兵を組織

ギュスターヴ13世はワイドを本拠地として軍備を整える。術不能者に向け兵員募集を行い、鋼鉄兵を結成。

1241年 シュッド候、フィニー王国配下に

ベルナット伯の離反により勢力が衰えていたシュッド侯国がフィニー王国の支配下に。

1242年 銀帆船団と交流

政務に飽いていたギュスターヴ13世は、ムートンの計らいで休養。自由行動中に起きていた商船団と海賊銀帆船団の対立に関わる。身分を隠して銀帆船団に潜入し、事件の真相に迫る。

1242年 海賊掃討作戦

ケルヴィンがヤーデ伯の名代として、周辺の海賊掃討作戦を指揮する。

1243年 第4次マニクールの戦い

四侯国最後の独立勢力となっていたオート候アッバースがフィニー王国優位の現状を打破するため、雌雄を決する戦いに打って出るも、アッバース戦死によりフィニーの勝利に終わる。カンタールがオート候継承。

1244年 フィニー王国がメルシュマン地方を統一

オートとの調停が成立し、フィニー王国がメルシュマンを統一。その後、ギュスターヴ12世は南方遠征を企図。

1244年 英才教育

ギュスターヴ14世は、ファイアブランドの儀式に成功して以降、12世によって王としての英才教育を施される。14世は術の才能に恵まれ、「ノール候フィリップと甲乙つけがたい」と称されるなど、術士としての開花は早かった。

一方、政治に関する業務は一切行わなかったことから、卓上の名勇として他の諸侯たちに軽視されていた。

1245年 マリー、オート候カンタールと結婚

ギュスターヴ12世息女マリーがオート候領の半分と引き換えにオート候カンタールと結婚。

1245年 ギュスターヴ12世急逝

南方遠征を目前にギュスターヴ12世死去。毒殺とも暗殺ともいわれる。

これに伴い、ギュスターヴ14世がフィニー王国を継承。14世に次ぐ勢力を持っていたノール候フィリップとオート候カンタールを要職につけ、忠誠を誓わせる。

14世の即位により、祖父のシュッド候ベルナッド伯の発言力が強まる。新参勢力であるシュッド派が勢いづくことにノール領諸侯をはじめとする古参派閥が不満を抱く。

1245年 ネーベルスタンが配下に

ギュスターヴ13世は、家臣からフィニー王国の継承権を主張するよう進言される。東大陸出兵について、ギュスターヴはレスリーに意見を聞く。

ムートンはシルマールを使ってネーベルスタンを説得、ネーベルスタンがギュスターヴ軍配下となる。ネーベルスタンは、フィニー王国侵攻のため軍の体制を強化。

1245年 元ワイド候死去

ギュスターヴ13世によってワイドを簒奪された元ワイド候は、その後囚われの身で過ごし、誰に見守られることもなく死に果てる。25歳。

1247年 フィリップ、シュッド候息女と結婚

シュッド候ヨハン4世が叔父ベルナット伯の排除を目指し、ノール候フィリップと息女の婚姻を画策。二女エリザベートを勧めるも、フィリップは術不能者であったシュッド候三女クリスティーナを要求し結婚。

1247年 ギュスターヴ13世、東大陸上陸

ワイド上層部へフィニー国内の反シュッド勢力の働きかけがあったこともあり、ギュスターヴの家臣は東大陸への侵攻を提言。これを受け、ギュスターヴ13世は王位継承権を主張し東大陸へ上陸。

1247年 ヨハン誕生

生地不明。孤児として貧民街で暮らす。

1247年 ヴァンアーブル誕生

シュタインの三男として誕生。

1248年 フィリップ2世誕生

ノール候フィリップ、クリスティーナとの間に嫡子が生まれる。

1248年 パケットヒルの戦い

ザール峠で13世と14世が対峙。オート候カンタールに背後をつかれる動きを事前に察知した13世は、フリンにザール峠への偽装を命じ後退。動きを察知されたカンタールは後退し、以降の戦闘を傍観する。

偽装に気づいた14世は、ザール峠を突破。両軍はパケットヒルで激突する。ギュスターヴ14世はノール候フィリップ、オート候カンタール両名の裏切りに会い、ギュスターヴ13世の鋼鉄軍で打倒されることとなった。

ギュスターヴ14世は、ハンの廃墟の闘技場で処刑。

1248年 ギュスターヴ13世、テルム入城

ギュスターヴ13世が20年ぶりにテルムに帰還。レスリーと共にフィリップが切り裂いた肖像画を見る。

フィリップがテルムに来訪。オート候カンタールは交渉役として妻マリーをテルムへ派遣。3兄弟が20年ぶりに再会した。

1249年 ハン・ノヴァ建設

ギュスターヴ13世が古代帝国の地ロードレスランドに世界制覇の拠点建設を開始。

1249年 テルムにフィリップ入城

フィリップが事実上フィニー王家を継承。

1249年 ギュスターヴ13世、ハン・ノヴァへ移住

ギュスターヴ13世が新都へ移住。ギュスターヴ帝国が誕生。

1250年 マリー、テルムへ帰国

情報収集にあたっていたフリンにより、マリーがカンタールに冷遇されていることが明らかになると、フィニー王国側はカンタールとの離婚を画策。

内務大臣ムートンはカンタールと単身会談を行い、乱れた女性関係とマリーの処遇を指摘。領地保持と重要なポストを確約されたカンタールは離別を承諾。マリー自身は反対するものの、カンタールの承諾により離婚が成立しテルムへ帰国。続けてフィリップが次期フィニー当主となるため、マリーがノール領主になると発表。ノールはオートの仇敵であり、形上はカンタールがこの発表を受けて離別の措置をとったことになった。

カンタールには、その後鉄工業発展のための鉱山開発を一任する。マリーは一時ノール領主となったものの、体調不良を理由にノール領をフィニーに返還し、療養と称してハン・ノヴァに入る。

1250年 フィリップ、ファイアブランドの儀式に失敗

正当なフィニーの王位継承を目指し儀式に挑戦するも、失敗。

1250年 ダイク誕生

生地、両親不明。

1251年 ケルヴィン、マリーと結婚

マリー、ヤーデ伯ケルヴィンと再婚。ヤーデ領へ移住する。

1252年 チャールズ誕生

ヤーデ伯ケルヴィン、マリーに嫡子が生まれる。

1252年 ギュスターヴ13世、中原を完全掌握

ロードレスランド全域の社会基盤再整備が完了。各地に迅速に軍を派遣できるようになったことで中原を完全掌握。

1252年 反ギュスターヴ連合撃破

ネーベルスタンが樹海の南西で反ギュスターヴ連合軍を撃破。

1253年 稀代の術士とタイクーンの会談

旧友であるナルセスの紹介で、シルマールはウィル・ナイツと会談。エッグの話を聞かされる。

1254年 フリンがダイクを養子に

ロードレスランドの寒村に野党討伐に向かったフリンは、野盗にさらわれたと思われる子供を保護。養子に迎える。

1254年 ハン・ノヴァ完成

ギュスターヴ帝国の都、ハン・ノヴァが完成した。レスリーもハン・ノヴァへ移住。

1254年 フランソワ誕生

ヤーデ伯ケルヴィン、マリーの長女として生まれる。

1255年 フィリップ2世暗殺

フィリップ2世がファイアブランドの儀式に成功するも、直後に暗殺される。フィリップが息子を殺されたことで逆上、ファイアブランドを振るって暗殺者を葬るもアニマが暴走しモンスター化する。

1255年 カンタール、テルム留守居役に

フィリップ亡き後、ギュスターヴ13世は政治手腕を高く評価していたオート候カンタールをフィニーの留守居役に任命。

カンタールはこれを機に、ナの廷臣で占められていたギュスターヴ陣営へ反感を持っていた貴族の不信感を煽って反ギュスターヴの派閥を形成。同時に民衆を操作することで、ファイアブランドを扱えず、正当な後継者ではないギュスターヴへの不満を煽る。

1256年 アニマ教を襲撃

ギュスターヴ13世がフィリップ暗殺の黒幕として真アニマ教徒の根絶を宣言。ケルヴィンの諫言もいとわず、13世はアニマ教が本拠地とするハンの遺跡へ進軍。

1256年 第一次南方遠征

ギュスターヴ13世は覇を前面に押し出した政策を展開。グラン・タイユの併合を目指し、南方遠征を開始。

1257年 フィリップ3世誕生

ヤーデ伯ケルヴィン、マリーに第2子が生まれる。マリーが出産と同時に死去。

1257年 ギュスターヴ13世、シュヴァルツメドヘン(夜の町)掌握

海賊の流入を口実に、夜の町に進駐し支配下におく。

1257年 ギュスターヴ13世、グラン・タイユ北部を掌握

グラン・タイユ北部、夜の町付近までの都市を掌握。

1257年 暗殺集団紅いサソリ

ヨハンは10歳のころ、野盗の手で連れ去られ、紅いサソリに入る。

1258年 ヴァンアーブル、シルマールに師事

「テルムの神童」と呼ばれるようになっていたヴァンアーブルは、「術士になります」という書置きだけを残し、家出同然に行方をくらまし、シルマールのもとへ弟子入りする。

1259年 ヴァンアーブル、13世の側に

時折病床にふけるようになったシルマールは、弟子のヴァンアーブルをギュスターヴ13世の側につける。

1259年 第二次南方遠征

グラン・ヴァレの石橋の確保を巡り、ギュスターヴ軍とラウプホルツ軍が交戦。

1260年 南方同盟締結

グラン・ヴァレまでギュスターヴ軍が迫ったことで、ラウプホルツ付近の諸国が反ギュスターヴ同盟を締結。ギュスターヴ軍は、グラン・ヴァレを境に支配権を確立。

1260年 サソリからの逃亡

ヨハンは訓練の一環として親しかった友人を殺すことになった。ここから組織の一員として殺人を行うことに疑問を抱き、組織から抜けることを決意。

ハン・ノヴァで追手に囲まれたところをギュスターヴとヴァンアーブルに助け出され、これを機会にヨハンはギュスターヴ13世の陰で警備を務めることに。

1263年 第三次南方遠征

ギュスターヴ軍が3度目の南方遠征。ネーベルスタンは出陣せず戦略を発案したとも、病を押して出陣したとも言われる。チャールズの初陣となる。

グラン・ヴァレを掌握し、南方侵攻の足掛かりを得る。

1263年 フィリップ3世、儀式に成功

ギュスターヴ13世の手によって、フィリップ3世がファイアブランドの儀式に成功。以降、ファイアブランドは彼の持ち剣となる。

しかし、ヤーデ伯としてはナ国に対する裏切りになることから、南方進出を成功させ、確固たる勢力を確立するまで公表は控えることとされる。

1264年 将軍の謁見

ネーベルスタンがギュスターヴ13世に謁見。昔を語る。

1264年 ネーベルスタン没

ギュスターヴ軍の軍略の中心であった名将ネーベルスタンが病に倒れる。

1264年 第四次南方遠征

ギュスターヴ帝国を根底から揺るがす結果となる遠征が開始。

内務大臣ムートンが南方遠征に反対し、更迭される。

1265年 ダイク、ギュスターヴ軍に入隊

元々優れた素質を持っていたダイクは、15歳でギュスターヴ軍の術兵団に入隊。

1266年 ギュスターヴ軍撤退

グラン・ヴァレを越えてラウプホルツ公国に侵攻するも、補給路が確保できず冬季を迎え、撤退を余儀なくされる。その後、ラウプホルツ連合にグラン・ヴァレを奪回される。この際、ヤーデ伯ケルヴィン嫡子チャールズが石橋上の奮戦で勇名を馳せ、「赤天馬」と呼ばれる。

1267年 ムートン没

ギュスターヴ軍の後方の弱体化を危惧しつつ他界。

1268年 ダイク、第1術兵団長に

南方遠征で功績を挙げたダイクが第1術兵団長に抜擢。

1268年 第五次南方遠征

新家臣団とともにグラン・ヴァレ奪回を目的に遠征を開始。

1269年 ギュスターヴ13世没

メルツィヒの砦で後続部隊を待つギュスターヴ13世は、モンスターの大軍による襲撃を受け死亡。49歳。フリンもギュスターヴに殉じ陣没。47歳。ヨハンがモンスターとの戦闘で死去。26歳。

ダイクはハン・ノヴァに帰還しギュスターヴ没の報をもたらす。

レスリーはギュスターヴ陣没の報を聞き、故郷のグリューゲルへ帰郷。余生を静かに過ごす。

ヴァンアーブルはファウエンハイムで養生しているシルマールに会うため、ヤーデ領へ。

1269年 ハン・ノヴァ円卓会議

フィリップ3世を後継者に据えるべく、ヤーデ伯ケルヴィンが各諸侯を集めて後継者問題についての会議を呼びかける。しかし、現在のギュスターヴ軍の最高地位にありフィニー国王代理であったオート候カンタールはこれを無視。カンタールの欠席により円卓会議は意味を持たず頓挫する。

1269年 カンタール謀反

カンタールはフィニー国王代理の地位の下、不穏分子の討伐を名目にパースへ侵攻。フィニー海軍を支配下に置き、フィニー島とパースに挟まれたパース海峡を手中とする。海峡封鎖によりヤーデ海軍は北上が困難に。

1269年 ヌヴィエム誕生

父カンタール、母ヒルドガルドの間に、カンタールの9番目の子供として誕生。

1270年 カンタール、メルシュマン地方を制覇

カンタールはワロニエの森の利権をめぐってノールと対立していたオート領オーバスと当時ノール領だったスライブールを誘ってノール領首都ツーラを攻撃。同時にカンタール自身はシュッド領首都カルナックを攻撃。

ヤーデ伯ケルヴィンはこの動きを受けカンタール討伐令を出すものの、カンタールの強気な姿勢とその後の懐柔政策により諸侯は完全に沈黙。大きな戦いもなくカンタールがメルシュマン地方を統一する。

1270年 シルマール死去

ヴァンアーブルに看取られ、シルマール死去。74歳。生涯独身であった。

ヴァンアーブルはこの際、膨大な資料をシルマールより譲り受ける。

1271年 ハン・ノヴァ炎上

メルシュマンを掌握したカンタールは、ギュスターヴ13世の死に対し改めて弔意を示し、テルム留守居役の名において出兵、ハン・ノヴァへ向けゆるりと進軍。ハン・ノヴァを見下ろすザール峠まで兵を進める。この間に諸侯の多くはケルヴィンのもとを去り、ハン・ノヴァを守る力を失ったケルヴィンはハン・ノヴァを放棄。

その後、兵力が無くなったハン・ノヴァがモンスターの襲撃を受け、炎の海に。ダイクは途中で軍を抜け、ハン・ノヴァに残る養母を助けに向かい、行方不明に。

フィリップ3世は炎上したハン・ノヴァへ少ない手勢で偵察。中央広場でドラゴンに助けられ、ケルヴィン軍へ帰還。

ハン・ノヴァの炎上を見たカンタールは撤退。ハン・ノヴァが廃墟になったのを機に鉄工産業を全面的に廃止。鋼鉄軍も解体され術至上主義へ逆戻りする。

1272年 ロードレスランドがカンタールの支配下

ヤーデ伯撤退後、各諸侯はオートに下った。

1272年 ヴァンアーブル、ヤーデ伯軍へ

ヴァンアーブルは、ギュスターヴ13世の盟友であったケルヴィンに「ギュスターヴの剣」を託そうとするも断られる。

フィニー王家の血を継ぐ息子フィリップ3世が、「ギュスターヴの剣」の後継者にふさわしいか見定めてほしいというケルヴィンの願いにこたえ、ヴァンアーブルはケルヴィン軍の客将に。

1273年 ヤーデ、ミドルアイランド島に砦確保

ヤーデが東大陸と南大陸の間にある島に拠点を整備。

1273年 グラン・タイユがカンタールの支配下

カンタールは懐柔政策を進め、グラン・ヴァレ以北を掌握。

1274年 チャールズ結婚

チャールズがマティルデと結婚。

1275年 ヤーデ軍、ミドルアイランド島へ集結

7000からなる先行上陸部隊が集結する。

1275年 カンタール軍、ロードレスランド西海岸へ展開

ヤーデ軍集結の報を聞き、10000からなる軍を西海岸へ展開。

1276年 ウエスト海海戦

パースから南進してきたカンタール海軍を、海賊を中心としたケルヴィン旗下の別動隊が足止め。

1276年 ユノー海岸上陸作戦

ケルヴィン旗下のヤーデ軍が優勢に進め、東大陸上陸を成功させる。

カンタールが戦闘中に吐血する。

ケルヴィンが術士エレノアに、鉱山とモンスターの巣の調査を依頼。

1276年 デーヴィド誕生

チャールズとマティルデに嫡子が誕生。

1277年 フィリップ3世結婚

フィリップ3世は、南大陸の諸侯サクス・コバーグ家のエカテリーナと結婚。

1277年 第二次バケットヒル戦役

ヤーデ軍優勢で戦いは終わるものの、単独追撃戦を展開したヤーデ伯嫡子チャールズ、ザール峠で撃破される。ケルヴィンは軍を立て直すため、一時ユノー海岸付近まで撤退。

1278年 ヤーデ軍再進軍

ヤーデ軍がアナス川まで再進軍。カンタールの画策により、ラウプホルツ軍が北進したことでヤーデ軍撤退。しかし、ラウプホルツ公ヨゼフ3世の急死によりグラン・ヴァレを越えることなくラウプホルツ軍は撤退する。カンタール再吐血。

1280年 アナス川の戦い

ヤーデ軍がユノー海岸から再上陸。カンタール軍の抵抗なく順調に上陸を行う。両軍はハンの廃墟付近のアナス川でにらみ合いを行う。

1280年 ヤーデ伯トマス卿死去

トマス卿死去の報を受け、ヤーデ軍はザントフールトまで撤退。喪に服す。

1280年 ギュスターヴ15世誕生

フィリップ3世とエカテリーナとの間に嫡子誕生。難産のためエカテリーナ死去。

1281年 ケルヴィン帰還

ヤーデ伯授受のため、ケルヴィンがナ国へ帰還。

1281年 カンタールの病

カンタールが病床に伏せることが多くなる。

1281年 オート軍ザントフールトへ進軍

ケルヴィンの留守を狙い、オート軍がザントフールトに進軍。チャールズの血気にはやる性格を利用し、守備隊を砦から切り離し各個撃破。難なく砦を包囲する。

1282年 ザントフールト籠城戦

留守居役チャールズがザントフールトに籠城し奮戦。包囲戦6か月に及ぶ。

1282年 ノール候領の反乱

フィリップ3世の懐柔により、ノール候領が反乱。包囲戦終結へ。消耗激しいヤーデ軍が撤退したことにより、ノール候領の反乱も終結。再度オート旗下へ。チャールズが包囲戦の責のため伯位継承権を剥奪される。が、すぐに回復。

1283年 カンタール、病床の噂流れる

報を受け、包囲戦の汚名をそそぐべくチャールズが東大陸へ出陣。快進撃を続ける。

1284年 チャールズ、ヌヴィエムと邂逅

ナ国グリューゲルでチャールズが宮廷作法を学びに来ていたオート候息女ヌヴィエムと邂逅。カンタールに何度も敗北を喫していたチャールズはヌヴィエムを公然と侮辱。

1285年 プルミエール誕生

カンタールの23番目の子供としてプルミエールが生まれる。

カンタールの病気の噂が広がる。

1286年 ザール峠の戦い

チャールズ優勢に進むも、カンタールが病を押して戦場に現れたことで、一気に劣勢に。救援のため、ケルヴィンがザール峠へ軍を動かすも、その後ミドルアイランドまで撤退。

1287年 ギュスターヴ15世、儀式に成功

フィリップ3世とヴァンアーブルの手により密かにファイアブランドの儀式を受ける。

1287年 カンタール没

ザール峠に駐留中だったカンタールが病に倒れる。58歳。ヌヴィエムは多くの領土を相続。

1288年 ケルヴィン、ハン・ノヴァ入城

カンタールの死に乗じ、フィリップ3世中心に外交戦略を展開、メルシュマン各国の独立と、オート候継承権争いを煽る。この機にケルヴィンは難なくハン・ノヴァへ入城。カンタールの嗣子、ロードレスランド諸侯、グラン・タイユ北部諸侯を集め盟約調印。ここにヤーデ伯ケルヴィンを中心とした政権が成立。

ケルヴィンはハン・ノヴァに軍を駐留させるも、民衆を見捨てた君主であることの引け目から、ハン・ノヴァ炎上後自ら街を再建した元老院をを尊重し、積極的な介入を避けての統治を行う。

1289年 ラウプホルツエドムンド、後継者戦争に介入

カンタールの娘ヌヴィエムの説得により、ラウプホルツエドムンドが中原への軍事介入を開始。ハン・ノヴァ元老院のヤーデ伯への不信も相まって盟約に揺らぎが生じ始める。

1289年 ナ国ショウ王、ケルヴィン召還

ヤーデ伯の行動に疑念を抱いたショウ王はケルヴィンを召還。チャールズがケルヴィンの名代としてナ国へ。

1289年 ダイク没

野盗に襲われていた村を助けるために戦い、命を落とす。39歳。

1290年 ソールズベリ平原の戦い

グラン・ヴァレを越えたラウプホルツ軍と盟約の連合軍がソールズベリ平原で激突。連合軍がラウプホルツ軍をかろうじて撃退。

しかし、この戦いの後ケルヴィンが倒れたことで、盟約の崩壊が進む。メルシュマンではオート候の後継者争いが続き、各地で反乱も勃発。

1290年 レスリー

レスリー死去。独身のまま生涯を終えた。69歳。

1291年 フィリップ3世没

少数の手勢でヤーデへ帰郷中に野党の襲撃を受ける。援軍を待つもチャールズはこれを見殺しにする。ギュスターヴ15世が形見としてファイアブランドを継承。

1292年 ケルヴィン没

ハン・ノヴァにてヤーデ伯ケルヴィン死去。71歳。チャールズがヤーデ伯継承のためナ国へ帰還。

1293年 チャールズ、反乱討伐開始

ハン・ノヴァへ帰還後、ロードレスランド各地の反乱討伐開始。

1295年 ギュスターヴ15世、出奔

チャールズ側近の兵士の話を偶然耳にしたことで、ギュスターヴ15世は父フィリップ3世が叔父チャールズに見殺しにされたことを知る。それでも父の遺言を守り、チャールズの下で政務に努める日々を送る。

しかし、フィニー、ノール両国の継承権を持つ15世は、政治の道具になりたくないとの想いを募らせ、ついに身分と名前を捨てて家を飛び出す。

1295年 ギュスターヴの名をかたる反乱が続出

反乱貴族や野盗らまでがギュスターヴ公の名を騙り、反乱や略奪を始める。

1297年 ラウプホルツとの和解

デーヴィドがラウプホルツへ赴き、関係の修復を図る。

1299年 チャールズ、増税政策

東大陸の駐留地、所領地の兵糧出資額を高める。ハン・ノヴァ元老院は反発するも、ヤーデ伯は力で押さえつける構えを見せる。

1300年 偽ギュスターヴ出現

数多い偽ギュスターヴの中でも最も有名な男が出現。

1301年 メルシュマン平定

カンタールの後継者争いを平定するため、カンタール9番目の子ヌヴィエムが軍を起こす。兄弟による争いに一切かかわらなかったヌヴィエムのもとには、内乱に辟易していた有能な家臣が集まり、他の兄弟たちを圧倒。ヌヴィエムはオートの血筋が招いた混乱を償うべく、次々に捕縛した領主・貴族を無慈悲とも思える様子で処刑していった。

1302年 偽ギュスターヴ軍蜂起

ハンの廃墟にギュスターヴ軍を名乗る勢力が蜂起する。

1303年 ナ国ショウ王没、和平会議始まる

ショウ王の死をきっかけに和平会議が始まる。その実態は、力を持ちすぎたヤーデ伯への牽制だった。

1304年 チャールズ、ハン・ノヴァ元老院へ兵糧出資を求める

チャールズ、肥大化しつつある元老院へ圧力をかける。元老院はこれを拒否し、偽ギュスターヴとの結託を計る。チャールズは討伐軍を出す。

1305年 ハン・ノヴァの戦い

偽ギュスターヴ軍がヤーデ伯チャールズを敗死させる。偽ギュスターヴのもとには各地から続々と兵が集まる。

1305年 第6回和平会議

チャールズ戦死の報を受け、ヤーデ伯代理デーヴィドはハン・ノヴァ自由都市化を条件にヤーデ伯の東大陸の権利放棄を提案。諸侯はこの条件を受け入れ、偽ギュスターヴ追討連合軍を結成。

1305年 北方軍とボルス隊激突

メルシュマンの諸侯で形成する北方軍は足並みがそろわず、偽ギュスターヴ軍のボルス隊は大きな被害もなく北方軍を壊滅。北方軍の弱さを見たボルスは、メルシュマンをも手中に収めるため作戦を無視して北方軍を追撃。

1305年 サウスマウンドトップの戦い

偽ギュスターヴ軍とデーヴィド率いる西方軍が衝突。偽ギュスターヴ軍がデーヴィド本陣にせまるも、南方軍到着により戦闘は終了。ヤーデ伯デーヴィド率いる諸侯連合軍が勝利を収める。

1305年 ハン・ノヴァ条約締結

第6回和平会議で議決された条約がハン・ノヴァで締結された。デーヴィドが死ぬまでの50年にわたる平和と繁栄の時代は「デーヴィドの平和」と呼ばれる。

これを機にヴァンアーブルはヤーデ伯軍の客将を辞め、生涯を術の研究に費やす。

1315年 ヴァンアーブル没

ヴァンアーブルが逝去。68歳。晩年にシルマールの研究をまとめた「理論術学」、ギュスターヴ13世の生き様を記した「鋼志伝」を残す。